チェリー・ブロッサム・フェスティバル

日本からの移民が多かったカリフォルニア州

日本では、例年3月から5月にかけて桜前線がどんどん北上していく。満開となったソメイヨシノの木々のたもとで、花見の宴が盛り上がる。春の到来を意味する風物詩だ。
今年、サンフランシスコでも日本街で4月の第2、第3週末、チェリー・ブロッサム・フェスティバルが行われた。例年の催しだ。この両週末、通りをブロックして様々な陶芸品や日本食の露店が並んだ。煙がモクモクと立ち上がる野外バーベキューは、大きなスペースをとって通り中によい香りを漂わせる。

ステージで常時行われているライブミュージックは、その前に陣取る観衆だけでなく、ブロックされた通りを行き来する人たち誰をも楽しませる。イベントの最終日4月20日には、パレードも行われた。
フェスティバルに訪れるのは、地元に住む日本人や二世三世といった日系アメリカ人だけでなく、外人の顔も多い。白人もいれば、ヒスパニック、黒人もいる。

露店が並ぶ通りを歩いていると、外人なまりの日本語が耳に飛び込んでくる。簡単な単語にとどまることなく日本語を話す外人が多くなってきている。日本文化に興味を示し、それを理解しようとする外国人が増加しているのだろう。だから、今川焼きや焼き鳥を美味しそうにほおばる外人などを見ても、違和感をそう感じなくなってきているのかもしれない。

今では寿司や刺身、酒と言えば、日本の代名詞。そういった日本文化を伝える役目をした日本人がアメリカに渡り始めたのは、実は19世紀後半とか。
国勢調査によれば、1870年、アメリカ全土に日本人はわずか55人しか住んでいなかったという。その二十年後、1890年、サンフランシスコに590人の日本人が住んでいたという。アメリカ全土に2,038人、そのうち1,114人がカリフォルニア州に住んでいたというから、サンフランシスコを含むカリフォルニア州での定住者の割合が高いことになる。

多くの日本人がアメリカへの玄関口としてサンフランシスコを使ったことがその理由にあるのだろう。現在、サンフランシスコとその周辺市に、11,200人ほどの日本人が住んでいるらしい。随分と増えたものだ。日本人の増加とともに、その文化を理解する人たちも増え、このフェスティバルが賑わう理由にもなる。

残念ながら、チェリー・ブロッサム・フェスティバルが行われたこの日本街には大きな桜並木はない。所々に植えられた小さな桜の木々に花がついているのがチラホラと見える程度。
でも、その開花をみて、外国に住んでいても、日本にいる日本人と同じように春の到来を祝うのだ。毎年、外国人の訪問者を巻き込んで、日本文化の種を蒔きながら。

(2003/04)
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