日本の美
侘び寂びという言葉を英語に訳そうとすると、はたと困ってしまう。説明はできても、さて、それが外国人に美として解釈してもらえるかどうかがわからないからだ。
除夜の鐘を聞きながら、神妙な気持ちで静かに新年を迎えようとする国民と、シャンペンを高く掲げて、ダンスをしながら大声で新年の到来を祝福し合う国民とでは、もともとの感覚が違うのだ。「落ち着いた味わい、古びて趣がある」などと言ったところで、そんな賑やかで開けっぴろげな性格の国民には、なかなか理解しがたいところだろう。
ところが、こんなものがよく売れるようになっているらしい。浜にあるような白い砂を敷き詰めた浅い木製の箱に、砂の上に様々な曲線が描けるように竹製の小さな熊手がついてくるというもの。由緒ある寺の庭でみるような、竹箒で掃いたような跡をつけた小さな庭のイミテーションというわけだ。
その週やその日の気分で砂の上に流れるような線を描き変え、部屋の片隅に置いておこうといったものだ。また、小さなボールや深めの皿に綺麗なごろごろとした角のとれた石ころを詰め、電気仕掛けで、埋め込まれた細いパイプから溢れ出す水が石ころの上を流れて循環するというものや、細い竹筒から流れ出す水がその下に敷き詰めた小石を濡らしては循環するようになっているものなど。
もともとこんな小さなものを、部屋の棚や机の上に置いて、視覚的に楽しんだり、静かに流れる水の音や、小石が不規則に濡れては乾く趣を楽しんでいた人たちが、どんどんエスカレートしていき、凝った人では背丈もあるほどの大きな石の切り崩しにそって表面を水が流れるようにした、ちょっとした電動ミニ滝を庭や玄関先に置いたりしている人がいる。サイズや凝り様によって値段がかなり張る。
それでも、そんなものを欲しがる人が増えている。こちらの人たちが日本の美に惹かれ始めているように思える。嬉しいことやハッピーなことを外に向けて発散しようとする文化をもつ人たちが、心を休め、時間を止めて、じっくりと何かを受け入れようとする姿勢を養いつつあるようだ。
ストレスに溢れた生活をおくっているからこそ、心の安らぎを求める形のひとつとして日本の美を選んだということなのかもしれない。国際化にともない多くの国で、日本文化の真価が理解されるようになってきている。
様々な人種が入り交じって生活するサンフランシスコだからこそ、アメリカの中でもこんな傾向が早く、しかも強く出てきているのかもしれない。
庭の隅で苔むしてじっと座っている石などに、あらためて注目をしてみるのも機会かもしれない。日本人だからこそ、忘れてしまっている日本の文化に今一度目を向けてみるときがきているのかもしれない。