「正常値」の根拠がでたらめ
「先生、私やっぱりダメです。」と人間ドッグや検診の成績表を私に見せる患者さんは、学期末に「あまりよくない成績表」を両親に見せてウナダレテいる子供にそっくりです。
どれどれ、と見ると私から見れば、何もそんなに深刻ではないことばかり。もし深刻な検査結果が出てるとすると、それまで私は見過ごしていたのかと逆に問題になります。
そんなことはまず100%ありません。項目がひとつ(或いは2つ3つ)「正常値」から外れてるから私の通信簿はダメなのです。あれだけダイエットしたり運動したりしたのに。私の身体には欠陥があり、私の人生は落第なのです。ぐしゅん。
まず第一に、大人になってもまだ通信簿に数字や評価をつけてもらって喜んだり悲しんだりしている自分を滑稽だと思いませんか?
子供達の学校の成績表が、子供の全体的な発育・生活からみれば、そのほんの一部のことしか評価していないのと同じく(成績表でその子のすべてが評価されていると思ってないでしょうね!)、貴方の検診の通信簿も、身体の健康状態や生活のほんの一部(一説には約3%)を評価しているにすぎません。
ましてや、「正常値」の範囲を一歩越えるともうダメで一歩内へ入るともう安心、なんていうことは数字は連続しているのですから、ちょっと考えてみただけでもおかしいでしょ。
その「正常値」の決め方の根拠がまたでたらめなことは何回も書きました。だいたい人生60年も今までやってきた貴方が、項目いくつかの「異常」で明日から生活をかえるなんておかしいですよ。60年も堂々と生きてきた実績に比べると、薬だの運動だのダイエットなどが貴方の身体にこれから及ぼす影響など比較するのも恥ずかしいくらい小さなものです。
検診の数字のデコボコを全部「正常値」の中へ入れることを「医者の使命」としている同業者(これを金儲け医とは別の意味でもうひとつの算術医と呼びましょう)が多い中で、私はほとんどの患者さんの場合そんな健康管理はいやらしいおせっかいで、皆さんをかえって病弱にしてしまうという立場をとっている少数派です。