10.必要以上に人に気を遣わない。

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30年来の友人のMさんは、不思議な人です。たとえば、どんな集まりに行っても、スンナリとその場に馴染んで、笑っています。特に発言が多いわけでもなく、中心人物でもない。それどころかどちらかといえば、いるかいないかわからない程度の色を持った人です。
こんなことがありました。それほど親しくない複数で旅行に行ったのです。旅行は親しい者同志でも、なんとなくギクシャクしたものを生み出す行為ではありますが、彼女と同室だった友人が言いました。「Mさんと同じ部屋で、本当にラクチンだった。全然、気を遣わなくて済むんだもん」

気を遣わなくて済む。これは時間を過ごすうえでの宝物だと思いました。あぁ緩んだ、リラックスしたと思う瞬間を振り返ると、決して気を遣っていない自分がいます。自分が開放されているのです。気を遣わなくていい相手といると、本当にリラックスできるのは皆さんもご存じでしょう?でも、相手に気を遣わせない自分でいたいと思っても、それはなかなか難しいことです。私はMさんを観察しました。
なぜ、彼女は人に気を遣わせないのか。なぜ彼女は邪魔な人じゃないのか。2~3日観察するだけで、その謎が解けました。彼女は向かい合う相手に(あるいは同じ空間にいる相手に)、まったくと言っていいほど気を遣っていないのです。

Mさんの名誉のために言いますが、決して無神経ということではありません。よく言われる「その場の空気を読めずに、気配りのできない人」ということではなく、ごくごく自然に、普通に過ごしているのです。ことさら近くにいる人を気持ち良くさせようとおだてたり、顔色を伺ったりもしていなければ、誰かから何かを薦められても気が進まなければ、やんわりと断っています。究極の自然体なのです。

私は改めて、人に気を遣うという行為について考えてみました。他者に気を遣うこと。それは、人間関係の潤滑油としてとても大切なことです。でも、気を遣いすぎると、気を遣われた相手は疲れてしまいます。気を遣う側は、相手に良かれと思ってしている行為なのにも関わらずです。

もっと正直にいえば、相手に自分を良く見せたくて気を遣っているのに、相手にはそれが重荷になってしまうのです。そして、もっと悪い方向に向かえば「私がこんなに気を遣っているのに、相手はそれを理解しないばかりか、私に何も与えてくれない」という発想につながっていきます。よく言われることですが、人間関係は鏡のようなものです。相手の行為がまんま自分の行為に結びつきます。逆もまた真で、自分の行為がまんま相手の行為にもつながっているのです。自分がリラックスして、必要以上に相手に気を遣わないこと。これがMさんの相手をリラックスさせる極意だと思いました。

もちろん、無神経なわがままは論外ですが、もう少し、気遣いを緩めてもいいかも。そう思ったのですが、いかがでしょう?

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