7.三ヶ月に1度、モノを整理する。

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私の母親はクセのある人なのですが(母の名誉のために言うといい面でクセが多いのですが)、とても潔い人です。パパパッとモノを捨てることができる人なのです。子供の頃は私が大切に取っておいた物や、いつか着るだろうと処分仕切れずにいた洋服が、彼女の手によってある日、気前良く処分されているのに気づいて泣いて抗議したりもしました。

でも、思い返せば処分された品々が自分の元から無くなっている事実に気づくのは、いつだって、母がコトを起こしてずいぶんと時間がたった後なのです。そして、本当に大切にしているモノや本当に今後も身につけるであろうモノは、必ずきちんと私のもとに残っていました。つまり、彼女は私に不必要なものだけを正しくチョイスして、きっぱりと処分してくれていたのです。そして、本当に必要なモノは何なのか、最小限のモノだけで十分幸せを味わえることに気づいて、最後はやっぱり母に脱帽していました。

自慢できることではありませんが、私はそれほどモノを大切にするタイプでもありません。それなのに、捨てられない。可愛がっていないのに手元には置いておきたいという典型的な傲慢な有り様なのです。先日読んだ本に書いてありました。「モノは持っているうちに毛虫になってしまう蝶だ」って。手に入れたときは、キラキラと輝きを持って興奮を与えてくれたモノたちが、少しの時間を経るとあってもなくても同じどころか、ココロの負担になってしまうケースもあります。

だから私は3ヶ月に1度。季節の変わり目に衣替えと一緒に大々的にモノを整理します。洋服はもちろん、各種の書類や本や雑貨や靴やバッグや食器等々。多くの場合、3ヶ月の間に増えたモノを眺めて驚いてしまうのですが、そのひとつひとつをいるモノ、いらないモノに分けるうちに、自分にとって大切なもの、そうでもないモノが見えてきます。そしていつも思うのです。「この程度のモノだけで十分幸せなんだ」って。そして、ココロからスッキリと清廉な気持ちになるのです。

モノは私たちにたくさんの幸せをくれます。でも、同時に私たちを束縛し、もっともっと欲深い底無し沼へと誘い込みます。モノと正しく訣別する行為は、ダイエットに成功したときの爽快感にも似ています。などと言いながら、私。また3ヶ月後に溜まったモノたちの山の中でため息をつくのですけれど。でもまずは自分で期限を決めて、モノを整理することから始めています。そんな行為を繰り返せば、いつかきちんと自分に必要なモノだけを所有する勇気が持てると思うから。

参考文献:「複雑な人生をシンプルにする15章」/ケント・ナーバン/三笠書房

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