8.ちょうどいい距離感がイイ友達。

パリの噴水と鳩

先日、とても仲のいい友達と微妙な雰囲気になってしまいました。ケンカと呼ぶのもちょっと違う。もちろん嫌いになったわけじゃない。険悪というよりも、もっと微妙な雰囲気。なんとなくお互いに不満があるのに、それが何なのかうまく説明がつかなくて、気にはなるから連絡をしてみるものの、どこか言葉が喉につまったように、おかしな間が広がって、スッキリしないまま受話器を置く。そんな感じが続きました。

私は強い人間ではありません。だから、そんなふうに心のどこかでバランスが崩れるとひとりの胸にはしまっておけなくなります。通い始めて半年になるカウンセラーの先生に話しました。彼は私の稚拙な状況説明を黙って10分聞いて、キッパリと言いました。
「人と人は近づき過ぎても良くないよ」人と人とが親しくなって、近づき会うことはとても大切なことです。それはうんと子供の頃から誰もが学んできたことだと思います。友達がとても大切なことも、相手の気持ちを自分の気持ちと同じように思いやる大切さもきちんとわかっています。でも、そういう真っ正面な考え方は、どこかに歪みがあると彼はいうのです。たとえば、私と彼女の関係はとっても親密なものでした。自分に起こったことのほぼ99%は話をしたし、1日に1回は必ず連絡を取り合ったし、お互いの人間関係も出来うる限り共有する努力をしました。

お互いのことを正しく知り合っている唯一無二の存在だと確信もしていました。でも、それは少し違ったのです。自分以上に自分を知っている存在がいる(と誤解する)ことは、深い安心感を与えてくれます。でも、同時に自分だけでは立っていられなくなる不安定さも自らに生んでいくのです。私は彼女に依存し、彼女は私に依存する。それは、とても危険な関係であることがわかりました。

大人になるということは、自分の足だけできちんと立つことなのです。まず、それができること。自分の足で立てなくなるほど、誰かに寄り掛かることは、とてもとてもアブナいことだと思いました。友達は多いほうがいいに決まってる。そして、そのひとりひとりと親密に深く付き合うことも大切です。でも、基本は自分。人間関係が濃くなりすぎることは、日常をより複雑に変えてしまいます。

そういえば以前、私の夫が言いました。「人っていう字は支えあってひとつの文字になっていて、それが人間の基本だっていう考え方は少しおかしいと思わない?人は数字の1のように真っ直ぐ立っていればいいんだよ。たいへんすぎてフラつくときや、うれしすぎてひとりの胸にしまえなくなったときだけ、ちょっと寄り掛かればいいんじゃないかな」
人と人との間のちょうどいい距離感。遅らばせながら、私はそれを覚えようとしています。きちんとそれが体得できたとき、人間関係はもっとシンプルに、もっと心地よいものになると期待をこめて.....。

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