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9.巣元方(そうげんほう)—「諸病源候論」を著す

巣元方
巣元方(そうげんほう)  580?~650?
巣元方

医学書を整理し、明らかにされていなかった疾病を研究

中国は、紀元前後にまたがる四百年の漢時代のあと、「三国史」の時代、南北朝の時代と戦乱をくぐり、589年にようやく隋によって全国が統一されます。日本では、聖徳太子の頃で、大和朝廷が全国の統一に向かっているなかで、遣隋使を派遣して大陸の文物を吸収しようとつとめていました。隋が続いたのはわずか20年ほどで、618年、唐に亡ぼされました。その後、907年に亡ぶまでの約三百年間が唐の時代でした。

隋から唐に移るころ、重要な医人が現われました。巣元方です。彼は「諸病源候論」という医書の著者であるというほかは、文献的記録がないので、その人となりはわかりません。わずかに「隋煬(よう)帝(だい)開河記」のなかに、重病人を「風逆病」と診断し、羊肉(マトン)の入った処方をあたえ、数日で回復させたというエピソードが記されているだけです。

隋以前には、病因証候学をあつかった書物はありませんでした。巣元方は煬帝に上奏して「諸病源候論」を作ることを提案し、勅命によってその計画が実行されました。これまでの医学書を整理し、明らかにされていなかった疾病を研究して、およそ5年後の610年に完成しました。
しかし刊行を目前にしながら、戦乱がおこり、隋は唐に亡ぼされたのです。世に出ることのなかった原稿を発見したのは、唐代・玄宗の頃の国家の図書・資料を司る役人をしていた王翻(おうとう)で、彼はその著書「外台秘要」の中で、各篇の最初に「諸病源候論」を引用しています。のちの宋代に至って、その価値が改めて見直され、はじめて単独で印刷出版されました。

「諸病源候論」は、病因証候学をまとめた書物としては、初めての著作であり、急性伝染病から各種内科疾患、外科、皮膚科、婦人科、小児科、眼科、耳鼻科等々、当時の病気という病気の総まとめの、しかもその原因にも言及している貴重な資料です。

外科には、刃物で断たれた腸を縫合するこんな記述があります。「腸断者、両腸頭見者、可連続之。先以針縷如法、連続断腸」。どうも開腹手術が行なわれていたようですね。

そのほか、この書物に引用されている古代の医学書は、散逸してしまったものが多く、ここだけで見られるのも少なくありません。そうした意味でも重要な文献となっています。

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