2.扁鵲(へんじゃく)—扁鵲
扁鵲(へんじゃく) 年代不明
「難(なん)経(ぎょう)八十一難」を編纂
扁鵲(へんじゃく)は戦国時代後期の勃海(ぼつかい)郡の鄭(てい)(河南省)の人(孔子の時代より200年くらい後)。多くの古典に登場するが、一番詳しいのは司馬遷の「史記」扁鵲倉公伝。
それによれば、扁鵲は姓を秦(しん)、名は越人という。若き日に長桑君という医人に師事し、医術の秘伝書を与えられ、さらに透視能力を発揮する秘薬も授かった。これを飲むと垣根の向こう側の人が透視でき、「病を視るに、ことごとく五臓の結を見る」ことができた。身体内部の諸臓器の腫れものや腫瘍が透視できたわけです。X線や超音波診断装置も超能力にはかないませんネ。
扁鵲は各地を遍歴し、斉の桓侯の病気を予言したり、死んだと思われた眈(かく)という国の太子を「起死回生」させたりして名をあげ、「扁鵲の名、天下に聞こゆ。邯鄲(かんたん)を過り、婦人を貴ぶと聞けば、即ち帯下医と為る。洛陽を過り、周人の老人を愛すと聞けば、即ち耳目痺医と為る。来りて咸陽に入り、秦人の小児を愛すと聞けば、小児医と為る。俗に随い変を為す」。
ずいぶん多芸なお医者さんですが、帯下(たいげ)医とは婦人科のこと。耳目痺医とはこの文から察するに耳が遠く目がかすみ、手足の痺れた老人をなおす、ということでしょう。それに小児科医ですから、当時からずいぶん専門化が進んでいたことがわかります。もちろん扁鵲が実在の人物であるかどうかは問題になりません。
扁鵲はまたハリ治療の始祖ともされ、現存する古典では、ハリ治療の問答集である「難(なん)経(ぎょう)八十一難」を編纂したといわれています。
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