18.劉完素(りゅうかんそ)—「防風通聖散」を創方
劉完素(りゅうかんそ) 1120?~1200
研究に没頭の「高尚先生」
少年時代、父はよく扁鵲が病を治した物語をしてくれました。15~16歳のころ、母親が病気になり、家計が苦しかったため、医者に三度頼みに行ったが来てもらえず、死なせてしまい、そこで医学を学ぶ決心をしたといいます。
陳希夷を師として熱心に学び、のち独立・開業して次第に名声が広まりました。金の皇帝章宗に三度出仕を要請されましたが固辞し、その誠実さを愛された章宗から「高尚先生」の号を賜っています。
劉完素は医学のなかでも特に「素問」の奥義が深く、「素問」を研究しなければ医療における実際の問題はうまく解決できないと考え、25歳ころから研鑽に励みました。ある日、難解なところで思いあぐねていたところ、ボーッと意識がかすんできました。すると門のところから二人の道士がやってきて小さな盃で酒をすすめます。いくら飲んでも盃の酒が減りません。道士たちは笑って、「飲みあきたら盃に吐き出せばよい」と謎のようなことを言って立ち去りました。はっと意識を回復すると確かに酒の香りが残り、酔いでフワフワしています。こんな霊的体験のあと、がぜん悟るところがあり、勉学と医術は長足の進歩をとげ、60歳になるまでの35年間、寝食も忘れて研究に没頭しました。
劉完素は「素問」中の運気学説を特に熱心に研究し、「至真要大論」の病機19条を分析し、疾病の大部分が「火熱」の要素によって引き起こされ、また風・湿・燥・寒などの邪気も火と化して病となることを発見し、「六気は皆火に従いて化す」と結論づけました。この「火熱」に対して、治療としては寒涼の薬をたくさん用いたので、後世「寒涼派」と呼ばれ、金元四大家の一人に数えられています。
彼の創方による「防風通聖散」は、私が最も愛用する方剤で、こんなに役立つ漢方薬は少ないといっていいくらいです。
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