36.方有執(ほうゆうしつ)—病苦を克し大成

方有執
方有執(ほうゆうしつ)  1523~?

「傷寒論条弁」は日本漢方古方派の大きな力に

方有執、字(あざな)は中行(仲行)、号は九龍山人。明の歙(きゅう)県(今の安徽省歙県)の人。嘉靖2年(1523)生まれ。卒年は不詳ですが、万暦21年(1593)に「傷寒論条弁」を著わした時は、すでに71歳の高齢だったと伝えられます。

青年時代は虚弱で、家族も病気に苦しめられました。妻を2回亡くし、5人の子供も驚風のために次々失い、自らも重い病を患って、ほとんど死にかけました。そうした苦しみと凡庸な医者に対する憤慨から、医学の研究に駆り立てられ、十数年の努力の末、ついに医術に精通し、医学家として大成したのです。

張仲景の「傷寒論」を中心に研究しましたが、「傷寒論」は著わされた時代から隔たるにつれ、浅学の人の付け加えた誤りも多くなったと考えました。そこで「傷寒論」の内容を全面的に理解するためには「仲景の心を心とし、仲景の志を志とし、以て仲景の道に合うものを求める」べきだと主張し、二十数年の研究を経て「傷寒論条弁」8巻を著わしました。そのなかで「「傷寒論」は本来、巻一は弁脈法、平脈法、傷寒例の3篇であったのを、王叔和が弁脈法、平脈法を篇末に移して、傷寒例を削除した」と指摘しました。

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方有執は、まず「経絡内景図説」で六経の分治と表裏の病位の関係を述べています。続いて太陽病を「風傷衛」「寒傷営」「風寒倶感傷営衛」の3篇に帰納しました。
桂枝湯証とその変証は「風傷衛」篇に、麻黄湯証とそれに関連する条文は「寒傷営」篇に、青龍湯証と脈浮緊などの条文は「風寒倶感」篇に記されています。さらに「本草鈔」1巻、「或問」2巻、「痙書」1巻を付しました。「本草鈔」は「傷寒論」113方で用いられる91種類の薬物に解説をしたもので、検索も便利です。

この「傷寒論条弁」は、江戸時代初期には日本に流布し、元禄時代に台頭した日本漢方古方派の大きな力になったと考えられます。中国では清代になって、方有執の説を支持する学派と、旧来の「傷寒論」を支持する学派との激しい論争があり、それがきっかけとなって「傷寒論」研究は大いに進展しました。

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