3.華佗(かだ)—全身麻酔で外科手術を施す
華佗(かだ) 141?~203?
「三国志」に残るエピソード
生卒年が「?」付きながらも出てきたということは、そろそろ実在した特定の人物と考えていい人のようです。華佗の名はいろいろの古典に見えますが、別名は標(ほ)、字(あざな)は元化。後漢の沛(はい)国(今の江蘇省沛県)の人。生卒年からみると、漢方医の中ではもっとも有名な張仲景と同時代の人です。
若くして医に長じ、曹操(後の魏の武帝)の頭痛をハリ治療一回で全治せしめた。後年、曹操は彼の医術を独占しようと、侍医に採用しようとするが、華佗は妻の病気を口実に故郷へ帰り、曹操の招きに応じなかったので、怒りをかい、刑死しました。
華佗の最も有名なエピソードは外科手術です。「疾病が内に結し、針や薬が届かないものには、酒で麻沸散を飲み下し、酔って感覚がなくなったところで、腹を切開し、積聚(しゃくじゅう)を除去する。それが腸胃にあるときには、切り取って洗い、疾悪を除去した後に縫合し、神膏を塗る。4、5日で創がなおり、1ヵ月でもとに回復する」(「三国志」華佗伝)。
このことから、華佗はこの頃に、全身麻酔で腹部の腫瘤切除、胃や腸の接合などの手術に成功していた、といえます。医案(症例集)もあるので、この全身麻酔下の開腹手術を嘘だとは決めつけられません。
外科手術は、伝統的な病気観とは異なる次元で拡大していく「技術」の要素が強いですから、華佗(実はペルシャ人だという説もある)の名は、インドや中近東からシルクロードを伝わって、中国にもたらされた外来技術のシンボルだという説もあります。いずれにせよ、洋の東西を問わず、その後永く外科手術は発展することなく、医学の中心とならなかったことは、興味あることです。
寄生虫病の治療を得意とする
華佗は、ほかに婦人科や内科のいろいろな病気にも独自の境地をもち、特に寄生虫病の治療を得意とし、なま煮えの「腥(なまぐさ)物(もの)」を食べることが、寄生虫病にかかる主な原因であることを発見しました。また医療体操を発明しています。虎・鹿・熊・猿・鳥の動作をまねるという、その「五禽戯(ごきんぎ)」は、中国最初の系統的な体操といわれ、「開き戸の支えは虫に喰われない」という発想に、常に運動することの重要性をたとえ、後世に大きな影響を与えています。