11.王翻(おうとう)—「外台秘要」全40巻を編纂

王翻
王翻(おうとう)  700?~780?

漢方処方の大百科「外台秘要」

孫思襞の「千金要方」は、唐代の初め、初唐の医学書でした。王翻が活躍したのはその100年くらい後の盛唐で、王翻の著作「外台秘要」ができた数年後には安禄山の乱が起こり、玄宗皇帝と楊貴妃の時代も去り、日本では平安時代を迎えようとするころです。

さて王翻は、唐代の名門に生まれましたが、生来身体が弱く、長じては母が病身でずっとその看病をしていたと伝えられ、そのようなことが医学書を書く動機になったといわれます。というのも彼は、これまでの漢方医列伝のなかでは唯一、臨床医ではないのです。
彼は台閣(国立国会図書館のようなもの)で20年も公務員として仕事をしていました。100年前の「千金要方」や「諸病源候論」、さらにさかのぼってあらゆる医学書を渉猟するのに、たいへん有利な地位にいたわけです。

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その後、地方の長官になりましたが、そこでさきほど述べましたように、「医に明らかならざれば孝子たることを得ず」と発奮し、一大医学書の著述に専念したのです。自序に、昼夜を問わず努力を重ね、先人50~60人の著作と同時代人の医学書千百巻に目を通し、「古くは炎昊(神農と伏羲)の時代から盛唐まで、残巻を集めて隠された奥秘まで残らず考証した」とあります。都をはなれ、台閣を外れた所で著述した秘方書だから、「外台秘(げだいひ)要(よう)」なのです。
「外台秘要」は全40巻、1104門に分かれ、各門の前半が理論、後半が方で、理論は「諸病源候論」、方は「備急千金要方」から多く採っています。

「外台秘要」の学術的価値は、第一に、内容の豊富な点。内科・外科・婦人科・小児科・骨折・皮膚・眼科・歯科・耳鼻咽喉科・精神科・伝染病・先天症の諸科があり、さらに、インドの眼科治療の臨床や辺境の少数民族の医療技術の記載まであります。第二に、南宋時代にすでに亡佚した十数の医学文献の内容を若干保存している点。著者は医者ではなかったためか、中国の医学書としては珍しく、引用文献の出典をいちいち明記しているのです。「范氏方」83条、「小品方」171条、「刪繁方」108条などです。

こうして、実用的にも文献学的にも重要な「外台秘要」ではありますが、漢方処方(湯液)ばかりで、針に関する記載がまったくないことは、現代にいたるまでナゾとされています。

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