25.王好古(おうこうこ)—帰経と引経の新機軸

王好古
王好古(おうこうこ)  1200~?

本草学に新機軸

王好古、字(あざな)は進之(信之)、号は海蔵。金の趙州(今の河北省趙県)の人。承安五年(1200)ごろ生まれた。進士に合格し、趙州教授の官についた。

王好古は李杲(りこう)とともに張元素に学び、のちに李杲を師として、学術思想と医療技術を全面的に受け継いだ。張元素の臓腑弁証の影響を受け、陰証と虚損の研究を重視した。また李杲の脾胃学説の影響も受けた。張元素→李杲(東垣)→王好古のながれは易水学派と呼ばれる。伝記、エピソードの記録などが少なく、生い立ちはよくわからないが、その著作はよく知られている。

二十種あまりの著作があり、なかでも代表的なのは「陰証略例」「医塁元戎(いるいげんじゅう)」「湯液本草」「此事難知」などで、後世の人々に重んじられた。

sponsors

「陰証略例」一巻は、宋の端平三年(1236)に書かれ、陰症傷寒学説を論じている。伝染病の発症から死亡へいたる過程、はじめは陽証だがだんだん抵抗力が弱まって、陰証になり、やがて死亡するという「傷寒論」に説かれている「陰証」の部分を取り出し、陽証は弁じやすいし、治しやすいが、陰証は難しいとした。さらに、伝染病ではない雑病(たとえば、冷たい物を飲み過ぎたための腹痛)の診断を「傷寒論」の陰証(大陰・小陰・厥陰)にあてはめて、「傷寒論」に収録する方剤で治療している。

当時の内経医学の大陰・小陰・厥陰という三陰と「傷寒論」の三陰とを結びつける仕事であった。「医塁元戎」というタイトルは「良医の用薬は臨陣の用兵の如し」に由来するという。
「湯液本草」は、張元素や李杲などの著作を含めた、宋元の頃の薬物書の集大成といえる。この書物では、帰経と引経という考え方で薬物を解説している。

帰経とは、薬物が身体のなかの、何という経(およびそれに属する臓腑)に行きつくはずだ、どこに効くのだ、という説であり、引経とは、Aという薬物の薬力をより効果的に発揮させるために、同じ処方に配合されるBの薬物が、Aを引っぱって経、臓器へ連れてゆくというものである。
いずれも従来の本草書にはなかったもので、本草学に新機軸をうちたてたといえよう。後世に大きな影響を与えている。

sponsors
sponsors