32.汪機(おうき)—人参・黄包(おうき)の運用に熟達

汪機
汪機(おうき)  1463~1539

臨床実践を経て内科・外科・針灸に通暁

汪機、字(あざな)は省次、祁門(きもん)(今の安徽省祁門)朴墅(ぼくしょ)の人。居が石山にあったので石山居士と号し、汪石山と呼ばれました。明の天順7年(1463)に生まれ、嘉靖18年(1539)に卒しました。享年76歳。

父の汪渭(字は以望)は丹渓に私淑し、医術に長けたことで名を馳せました。物静かな性格で栄達を求めず、つつましい暮らしぶりでした。母の病気を機に医学を志し、父の指導で扁鵲ら聖人の書を学びました。20年の研鑽と臨床実践を経て内科・外科・針灸に通暁し、奇病も治すことができたので、学者も学生もみな訪ねてきて教えを乞うたといいます。

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汪機の学問は丹渓学派の影響を受けていますが、気血の調補を重視し、特に気を補うことを熱心に行ない、人参・黄包(おうき)の運用に熟達していました。
漢方医学では人の身体に陰陽論を適用し、陽気と陰血のバランスで健康が保たれ、不足したときは補う薬が必要。人参・黄包は陽気を補う薬の代表、とされています。

汪機は「陰の足りない者は味で補うべし。人参・黄包は味甘く、甘いものは血を生じさせる。陰を補わずして何とする?陽の足りない者は気で温めるべし。人参・黄包は気が温であり、陽を補うことができる」、つまり、人参・黄包は陽を補うだけでなく、陰も補うことができる、と主張しました。丹渓が陰を滋養し陽火を降す治療方法を主としたのとは、だいぶ異なります。

外科治療では「外を治するには必ず内にもとづき、内を知りて以て外を求める」とし、「癰腫はまず内にできて後に外に形成される。したがって内を治療することを主とし、外を治療することを次とすべきで、やみくもに手術に頼ったりメスや針を乱用してはならない」といいました。

「余力のある実証を治療するのに適していて、不足のある虚証を治療するには適していない。古の人は身体が壮健で外に出る病が多かったので、針灸はたいへん効果があったが、今の人は虚弱で病を内に生じることが多く、針灸は湯液に及ばない」と主張しました。

「石山医案」「外科理例」「針灸問答」「医学原理」などの著述が有名です。「石山医案」三巻は、汪機の門人陳桷が明の正徳14年(1519)に汪氏の臨床ノートを編集したもので、汪機が脈診と望診に優れ、四診合参を重視した特徴がよく現われています。

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