紀元前から栽培
出たーっ、という感じしませんか?タバコのどこがクスリなのか冗談じゃないと。もちろん、農薬として一部つかわれる以外に医薬品としてタバコを使うことは現在ではないし、漢方薬にもふくまれていません。でもかつては、ちょうどお茶が医薬品であったのと同じくタバコも医薬品だったし、現在では食べはしないにしても口にすることが多い、一種の薬草としてとりあげてみました。
タバコの野生種は南米の中北部に多くみられ、栽培の起源も南米ボリビアあたりとされています。紀元前から栽培され、インディオは宗教的儀式に、お香として用いたり、煙を病人に吹きかけて悪霊を追い払ったり、あるいは直接葉を食べさせてお腹の悪いものを吐き出させたりと医薬的に利用していました。喫煙の習慣も早くからあったようで、8世紀頃には中米のマヤ族などに伝わり、15世紀末にはついにコロンブスと出会うことになります。
16世紀にはポルトガルでタバコの栽培がはじまり、中東からロシア、中国と伝わってゆきます。一方、中米から太平洋を越えてスペイン人などによりフィリピンに伝わったタバコは、福建商人によって中国大陸を北上します。17世紀末にはロシア政府に委託されてシベリアでタバコの販売をしていたイギリス商人と北上してきた中国商人がぶつかる事件がおきます。ちょうどコロンブスから200年でタバコは東回り西回りで世界を制覇したのでした。コロンブスが新世界から旧世界へもたらしたもう一つの大きな文化!に梅毒という病気があるのは周知のことですが、これもあっという間に世界を制覇しました。
税収を重視
ヨーロッパで栽培の始まったタバコは、初期は医薬品として用いられたことがありましたが、なんといっても嗜好品、喫煙として拡がります。労働者の勤勉、貴族のサロンでの学問の発達など、近代ヨーロッパをつくった大きな要因に、昼間からワインを飲んでいた人々がインドなどから伝わったコーヒーを飲むようになったことがあるといわれますが、頭をすっきりさせ、興奮させる喫煙もコーヒーとともに産業革命を促したことは間違いないでしょう。
日本へは16世紀末に南蛮船によって伝わり、九州で栽培がはじまり、江戸時代には各地で、明治以降は栽培していない県はわずかというほど拡がりました。戦前はきざみタバコを煙管(キセル)で吸うのが一般的で、戦後は巻きたばこ中心になったのはご存じのとおり。
「タバコ」という名は、スペイン人が新大陸の住民が用いていたパイプの呼び名〈タバコ〉を、葉の名前と間違えて旧大陸に伝えたものとされています。タバコは初期にはクスリでした。ヨーロッパに伝わってからも、当初はペストを防ぐ作用があるなどと喧伝されましたが、やはり嗜好品として急速に広がっていきました。
ヨーロッパにおけるタバコの栽培は、1542年にポルトガルのリスボンで宮廷に庭にまかれた種からといわれます。当時ポルトガル駐在のフランス大使だったジャン・ニコー(Nicot)は自国の皇太后が頭痛持ちだったものですから、その種の一部を国に持ち帰り、皇太后に嗅がせて頭痛を治しました。嗅ぎタバコです。このことからフランス宮廷内でもタバコを嗅いだり、吸ったりの習慣が定着しました。ニコチンの名称は彼の名前が由来です。
このように万能薬として、また嗜好品として、庶民の間にも流行していきますが、保守の側からの禁止令もしばしば出ました。イギリスでは17世紀初頭、ジェームス一世が「タバコへの挑戦」という文書で、喫煙を野蛮人の汚れた習慣と非難し大論争になりました。次のチャールズ一世も喫煙を弾圧しましたが、清教徒革命で処刑され、勝利した市民のあいだに喫煙がますます定着しました。17世紀中ころの疫病流行のときには、嗅ぎタバコに予防効果があると、女性や子ども「嗅いで」いたそうです。
政府はとうとう弾圧を諦め、税金をかけて国庫の増収を図る方向に政策を転換します。こうして17世紀のロンドンには当時南方からはいってきて流行しはじめた、茶、コーヒーの喫茶店・喫煙所が市民の社交と歓談の場になったのでした。
イギリスを例にとりましたが、フランス、イタリア、ドイツ、ロシアなども似た経過をたどって弾圧よりも税収という経過をたどってます。
日本での喫煙の習慣は秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)のとき兵士にひろまり、兵士が故郷に帰って全国的に喫煙習慣が拡がったといいます。江戸時代の初頭1609年には幕府は、はやくも禁止令をだしています。火災の危険と奢侈を理由にですが、これもお膝元の大奥にまで喫煙の習慣がひろまり、江戸時代に禁止令が何回出されても流行を止めることはできませんでした。明治政府になり日露戦争のとき戦費調達のために専売制度をとりいれ、タバコの税収は以後、国庫の大きな柱になりました。